October 01, 2018

マザー


久々の更新。
本当は、忙しすぎて滅多に食べないカップ麺を食べた、
ということを書こうと思っていたのだけど、ある記事を見て一気に気分が変わった。

当初、というか、今日の昼の段階では
カップ麺を食べる以外の方法がないくらい時間がない人は大変だな、
と書こうと思っていた。
ここ最近本当に時間がなさすぎて
今日はお昼に許された時間は5分。
これはもうカップ麺しかない、と
震災用の非常食カップ麺を食べたことから、
あーなんかこの短時間で食べれる物を食べる人の気持ちがやっとわかるなぁ、と考えていたのだけど。。

自分の時間がない、というのは
好きな仕事を自分の意思でつめこんで
自分が勝手に趣味の時間をついやし
やばい、時間がない、とあたふたしながら
残りの時間で家事をする
というだけであって
これは、
自分の母が
あー忙しい忙しい
といいながら
柿を干したり
昆虫blogを書いたり
猫にご飯をあげる
というのを見ながら
自分が忙しくしてるんじゃないか、とつっこんでいるのと何も変わらない、と思った。

この記事。
先月アメリカに3週間行っていた。
友人宅はみんな子供たちがいて、
たまにいくおばさんだから、少しでもお母さん(友人)たちを休ませたい、と思いつつも
自分も遊びたいし、母達と楽しみたい。
けど結局子供がいると自分で時間はきめられないし
どうしても子供が優先になってくる。
たまにいく自分でさえも少しこの母達の労力に仲間入りできたかもしれないくらいの
時間への焦りは感じることができた。
これがみんな、毎日だと思うと本当頭がさがる。

向こうへ行っていた際に友人の旦那さんと撮影に行く際のこと、
「妻がここ数年ずっと育児をしているからWakiがどこか旅行へ行く時に誘ってあげてほしい」といわれた。
それってすごい寛大なアイデアだと思った。
子供は俺が見るから、旅行へ行って来なよ、と。
でも、後から改めて、それって本当に寛大すぎるアイデアだな、と思ったのが
結局のところ、母達は旅行へいっても子連れでは育児がずっとついてくるのであって
休暇とはちがうんだ、とあまりにも当たり前なことに初めて気づいた。
たぶん、母達は旅行へ行くのが父でも子連れでいってくれるのなら
母が留守番でもそれは休暇にちがいなかった。

今回この記事を読んで、思ったのが
結局それが仕事であったとしても
忙しさが、自分の好きなことを自分の時間でやれているだけでも
ありがたい、ということだった。
カップ麺ですら自分がたべようと思った時間に食べれること事態
恵まれている、ということだった。

ここ最近、パワフルな母達に加え、
かっこいいシングルマザー達を見てきたから余計にひびく記事だった。

というわけで
柿を干したり昆虫blogをかいたりして忙しがっている母も
4人の娘を育ててきているのだから
そこは尊敬しておこうと思う。